博多織について

博多織の歴史

1235年
福岡の町人であった満田弥三右衛門、聖一国師と共に宋へ向け博多の津を出港。
1241年
満田弥三右衛門、聖一国師と共に博多の津に帰る。博多織の原点は満田弥三右衛門が宋から持ち帰った唐織から始まる。
1540年
竹若藤兵衛、弥三右衛門の末流満田彦三郎に師事、織物組織を発明し覇家台織すなわち博多織と名付ける。
1600年
江戸幕府成立。筑前藩主黒田長政は参勤交代の際の幕府献上品に博多織を指定。
献上博多織とよばれるようになる。【資料①②】
1818年
頼山陽、博多にあそぶ。博多織屋、柴田与右衛門は頼山陽に博多帯を贈る。返礼に「博多帯歌」を贈られる。
1885年
紋紙式の機械織機、博多に導入される。【資料③④】
1902年
博多織屋中西金作、電気紋織機を発明、写真や図柄を紋紙なしで織物にすることに成功。
1941年
太平洋戦争が始まり、博多織は軍需産業として継続する。
【資料⑤】
~現代
西洋文化の流入により博多帯の需要が減少する中、商品の多様化が進む。
【資料⑥】

【博多織の始祖窶ヶ椏c弥三右衛門】

承天寺(福岡市博多区)開山の聖一国師とともに中国(当時の宋)に6年間滞在、織物技術の他麝香(香料)、素麺技術、金箔の製法、朱(朱墨原料)の製法を持ち帰った。
織物技術は家伝とし、広東織と称して独自の技術を加えながら代々伝え、博多織の基礎を作った。
同行の聖一国師は現在の静岡茶の原種を持ち帰ったと言われる。

満田弥三右衛門

下記資料の写真はクリックで拡大します。

【資料①】

江戸幕府に博多織を献上した礼品として黒田藩より織元へ授けられた紋付の丹前。町人である織元は恐縮し袖を通さず、仕付糸が付いたままになっている。

【資料②】

江戸時代の織見本帳。現在も多く使われる献上柄も見られる。(左から3番目)

【資料③】

機械織機用の紋紙(現代のもの)。経糸(たていと)の上下を制御する。それまで人手と時間をかけて行っていた作業が大幅に効率化された。

【資料④】

初代総理大臣伊藤博文の肖像織

【資料⑤】

高級な絹織物であった博多織は特攻隊の制服に用いられた。また、堅牢な生地は落下傘ベルトなどにも使われた。

【資料⑥】

昭和30年頃の博多織ネクタイ

※上記歴史などもっと詳しく知りたい方は
是非、博多織工芸館へお越し下さい。
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